RSR77 連携でつくる循環型地域シンポジウムレポート

 1999年にエベレスト登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立したアルピニスト・野口健さん。時を移さずエベレスト清掃登山、富士山清掃活動に挑んで話題となりましたが、活動は10年以上経ったいまも続行中です。

隊を組み、清掃を目的とした登山を行ったのは野口さんが初めて。誰もが目をつぶってきた汚染の現状と問題点を指摘し、環境保護の必要性を発信し続けてきました。

「環境問題を考えるには現場を見ること」と語る野口さんは深刻な問題を抱える国内外の地域に足を運び、精力的な保護活動を展開しています。多岐にわたる野口さんの活動を伺いながら、私たちにできる3Rを考えていきましょう。



Profile

野口健(のぐち けん)

■アルピニスト。1973年、アメリカ・ボストン出身。
■高校時代に故・植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』を読んで感銘を受け、登山を始める。
■1999年、25歳のときに3度目の挑戦でエベレスト登頂に成功、10年の歳月をかけて7大陸最高 峰世界最年少登頂記録を樹立。その後、世界各国の登山家と5000〜8000mの清掃登山に尽力する。
■2000年から富士山清掃活動を始め、2006年からは富士山・エベレスト同時清掃活動を開始。エベレスト側の隊長を務める。
■2001年、日本隊に参加して遭難したシェルパ(登山隊の現地案内・荷役人)のために基金を設立、2006年にはネパール・サマガオン村の子供たちの学校建設プロジェクト「マナスル基金」を設立。
■2003年、環境教育の必要性から、小・中・高・大学生対象、「野口健環境学校」を開校、次世代の環境問題を担い、実践していくメッセンジャーを育成している。
■2007年、「第1回アジア・太平洋サミット」運営委員として温暖化による氷河融解を取り上げる先導役務め、各国元首相クラスへ参加を呼びかける。
■2010年、尖閣諸島・魚釣島の生物多様性の価値と保全を訴えるために「センカクモグラの会」を立ち上げる。



清掃登山を始める以前から、環境問題に関心を寄せられていたのですか?

野口健さん

 今でこそ、僕はエベレストや富士山で清掃活動を行っていますが、最初から環境問題を意識していたわけではないんです。きっかけは97年にエベレストの国際公募隊に初参加したときのことでした。

 エベレストには、他国のゴミに混ざり、かつての日本隊の物と思われるゴミが大量に捨てられていました。そこでヨーロッパの登山家に、「お前ら日本人はヒマラヤをマウント・フジにするつもりか」と非難されるんです。僕は世界の舞台で日本という国そのものが否定されたようでひどく悔しかった。

 ならば、登頂に成功した暁には全部ひっくるめて下ろしてやろうと。「日本人はエベレストを汚したが、最終的にエベレストをきれいにしたのも日本人だ」と、他国の登山隊にそう言わせたいと思ったんです。

エベレスト清掃登山を行う中で、どんなことに気付かれましたか?

野口健

 氷河に覆われたエベレストでは、生ゴミや排泄物も、捨てれば分解されずに残るので、氷河が溶けるオフシーズンには大量のゴミが出現します。僕ら清掃登山隊は2ヶ月間かけてその回収作業を行うのです。

 ゴミの量や捨て方を見ると、その国の時代背景や環境に対する意識の度合いを感じ取れるんですね。年代で見ると、70年代まではヨーロッパ隊、80年代後半〜90年代前半は日本隊のゴミが多く、2000年以降は韓・中が増え始め、今は中国隊のものが目立つように感じられる。  
 その中でも、バブル期の日本のゴミはすごい。88年、日本のテレビ局が世界初・エベレスト山頂からの衛星生中継に成功しましたが、巨大アンテナを設置するために築いたコンクリートの土台が今なおベースキャンプに残されています。そこには「1988年チョモランマ生中継」の文字と、参加した日本、ネパール、中国隊員たちのサインがある。


 でも、当時はそれがゴミになるという発想がなかったと思うんですね。もし僕が同時代の登山家で現場にいたら、何のためらいもなく「野口健」と書いたと思うし、実際自分も酸素ボンベを置いて行ったことがあった。ところが時代が変わって問題視されるようになった。環境問題が問われるようになって、人々の環境に対する意識が変わったからです。
 僕は当初、エベレストに大量に捨てられたゴミを見てマナーの悪さを感じたけれど、そうした小さな問題ではなく、国民性や教育レベルを問われているわけです。ゴミ問題はその国の社会の縮図だと思うんですね。



空気が薄いエベレストでの清掃活動は過酷を極める。ゴミの収集を目的とした活動であるゆえ、最低限の食糧と燃料でまかなう究極の3R生活となる。

野口健さん


富士山清掃活動を通して、野口さんが訴えていきたいこととは?

野口健さん
不法投棄されたゴミの山が広がる樹海での清掃活動。廃棄処分するもの、リサイクルできるものを分別しながら収集し、地元の処理場へ持って行く。

 ヨーロッパの登山家に言われたように、当初、富士山はゴミと汚物で汚れた山でした。山小屋の裏には大量のゴミが捨てられ、トイレはあっても垂れ流し状態。岩肌にこびりついたトイレットペーパーは、まるで白い川筋のよう。富士山には毎シーズン30万人以上の登山客が訪れますから、背筋が凍る思いがしましたね。

 けれど、地元のNPOに案内された富士山麓、青木ヶ原樹海は想像を超えていました。林道沿いに無数のゴミが不法投棄され、廃材、タイヤ、車、家電製品、医療廃棄物や薬品の瓶などがゴロゴロしている。血液や薬物が残った注射器も散乱し、胸が悪くなるような悪臭が鼻を突く。土壌は完全に汚染され、このまま汚染が続けば、川の水は汚れて大変な事態を招きます。

 樹海のゴミを処理するには1トンあたり約10万円かかり、多い年で年間約85トンに達します。何とか費用を工面して処分しましたが、それも追いつかなくなる。僕は清掃活動を続けながら、山梨・静岡両県の市町村に協力を仰いだのですが、県境にある富士山は境界が曖昧な上に各自治体には資金がない。環境省にも何度も足を運んで事の重大さを訴えましたが、大臣交代などで話が進まず…。それでもあきらめずに、とにかく現状を見てもらおうと働きかけました。

 そして2006年8月、ついに小池百合子元環境大臣を樹海へ案内することができました。「日本のシンボル・富士山が汚いのは国の恥ですよね」と言った僕の訴えに耳を傾け、連絡をくださったのです。

 当日、僕は小池さん、環境省の方々、地元の市町村長、自治体の方々を樹海の最も汚れた場所へ案内しました。すると皆さんは心底おどろき、小池さんも「こんなに汚いと思わなかった」と本気で怒っておられました。その後、小池さんを筆頭に、皆さんも一般参加者の方々と清掃に参加されるのですが、わずか2、3時間、活動を共にしただけで建設的な話ができるようになるんです。地元の市町村も連携してゴミ処理をする約束をしてくださるなど、新たな体制が出来始めた。

 けれど、今なお不法投棄は後を断ちません。最近では産廃に土をかぶせて隠すという悪質な捨て方が増え、きれいに片付けても翌週には再びゴミの山ができることもある。大事なのは、いかにしてゴミを出さない社会システムを作るかということです。清掃活動はその第一歩で、抜本的な改革をするには、こうして行政と連携することが不可欠なんです。今後はさらに、パトロールやレンジャーを増やしたり、入山料や厳しい罰則を設けることなどを考える必要も出て来るでしょう。



私たちが環境問題を考えていく上で大事なのは、どんなことでしょうか。

野口健

 環境問題について考えるとき、陥りやすいのが「0か100か」という結論の出し方でしょうね。例えば、今年6月に世界自然遺産に登録された小笠原諸島では、かつて空港建設の計画があった。都の財政が逼迫する中、99年に就任した石原都知事には、小笠原を世界遺産にするというテーマがありました。そこで自然保護などの観点から、僕を含めた当時の都の委員たちは建設反対の意見を出し合ったんです。小笠原諸島には絶滅危惧種や固有種が多数生息していますから、僕は空港建設が保留になって良かったと思いました。

 ところが一部を除き、僕も他の委員も小笠原諸島に行ったことがなかった。現地を知らない者が意見していいの? そう思って、僕は建設予定地だった父島・小笠原村に個人的に足を運んでみたんです。村までは竹芝桟橋から船に乗って25時間。都内から島への移動は非常に大変です。さらに到着して知ったのは、島に大きな病院がないこと。妊婦さんは安定期に入ると、病院のある場所まで船で渡るそうです。そんな話を地元の人々から聞くうちに、飛行場を望んでいた人々の気持ちも分かったんです。

 その土地で生活したこともなく、現地の人々の気持ちも分からない僕らが、ただ自分が正しいと思っただけで、一方的に意見を通そうとするのは間違っていると思う。環境問題は開発か保護かという議論ではなく、開発をする際に、どんなフォローが必要になるのか考えること。そのバランス感覚は現場を見ないと養えないですよね。そこで僕は、小学生から大学生を対象にした、「野口健環境学校」を作ったんです。






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